コロナ禍

私達が初めてその脅威を知ったのは
多分1月半ば???

中国の武漢のニュースからだった

ニュースに映し出された多分?駅か空港の待合室の人々は
頭に
大きなペットボトルを切って頭からスッポリかぶっていた

その時日本人の私は笑った、、、、、、
けど
後に
それこそ重要な防備だと知ったーーーーーーー

何故中国の一般市民が
フェイスシールドが必要と知ったのか???

武漢ウィルスと言われる新型ウィルスのキーワードのような気がする


今は
ステイホーム
家にいましょう〜
それしか防ぎ用が無い、、、、、、、

家にいると
テレビで流れるコロナの感染者ニュースが
別世界の事のように思える

気が緩んだかもーーーーーーーーーーーーーー


対策を緩める国も多くなってきた
経済が成り立たないからだろうけど


でも
食料の買い出しに出かけると
ウィルス怖い状態を思い知る
レジの方のゴム手袋
透明ビニールで仕切られているし足跡マーク
するりとかわす客同士の動き、、、、、、、

あー
コロナウィルスはまだまだ油断は出来ないし
地方はこれからかもしれないし


恐ろしい

そうだ
主人は
この連休
ステイホームができないーーーーーーー
食料でない物を頻繁に買い出しに行く

ダメな人間の一人だ




ルンバ買った〜

お先見えないコロナ禍なのに
ルンバ買った〜

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世界経済はどうなるか解らないのに
このままコロナが治らないなら
食料も無くなるだろう???


「非結核性抗酸菌症」
なので
例えコロナに罹患しなくても
土いじりが出来ない、、、、、、、
抗酸菌は土の中にいるから

健康な人は抗酸菌は別に関係者無い

私は土いじりしたら
肺が悪化して喀血するだろう


しかし
何故ルンバを買ったか???

そうだなぁ〜
母あってのルンバ欲しいだったかも???
週休一日の私は
日曜日には疲れ果てているにも関わらず
母の面会と
最低限の家事労働に悩まされていた


でも
部屋に落ちているホコリや髪の毛にウンザリーーーーーーー
二人暮らしで
髪は短いのに
高齢だからだろうか??
床に落ちている髪の毛が凄い、、、、、、、、


母が生きていた時の
日曜日は大変!!
と言う気持ちはまだ修正できない
時々
あ〜
お母さんに会いに行かなくていいんだと思い出すだけ、、、

そこに
ジャパネットのチラシにルンバが有った
かなり安い気がした、、、、、、、

安いけれど品番は新しい〜〜
ふるい機種は安いけれど髪の毛などが絡むと止まってしまうと言う情報を得ていたし
私の嫌なのは髪の毛ーーーーーーー

今充電中
先行きわからない世の中で
ルンバ


????
貯蓄していなければならないかもなのに、、、、、、

正論ブログが書けない

大体正論なんて頭は無いけど

見出しを決めていても
段々
母の事になってしまうーーーーーーー
気持ちとは別の事を書いてしまう



今日遠方の義叔母から電話があった、、、、、、
えっ???
相続のこと???

びっくり!
まさかそんな事心配してくれているなんて、、、、、
涙、涙

ちゃんと勉強しなさいよ!
って、、、、、、、

父が亡くなった時
弟が勝手に全て処理した事を知っている
叔父は会社経営していたから詳しかったけど
実兄の家族には口出ししなかった、、、、、、、


叔父亡き後
義叔母はその事が気がかりだったに違いない

でもーーーーーーー
以前はこのブログにも時々書いていたけど
弟夫婦はインベーダーだ
地球の人間とは思えない神経の持ち主だ
特に
弟嫁を私の主人が世話した時から
その恐ろしい嫁と共に弟も変わってしまったーーーーーーー
弟嫁の酷さは想像の域を超え書けない

母の火葬の時
弟嫁の実家のお姉さんが
その実態をご存知で
色々聞かれたけど甥たちがいたので何も話せなかった

人の世の常
恐ろしい人間は微笑んでいる

相続は
兄弟で半分ぐらいは知っている、、、、、、

全てを開示しないので私には解らない、、、、、、、


私は
父の時も引き下がってしまった
戦えない人間だと思う
なので
云々言えない


多分ダメ人間で
平穏に暮らしたいと切に願ってやまない

そんな母親
息子達に許してもらえるだろうか?

人間誰でも
裕福な方が良いに決まっている

コロナで世界情勢は変わるだろう

コロナ禍が治らないと
決まった人間しか生き残れないかもしれない、、、、、、、



戦争後は
お金ではなくて食料だった
その時代
食料さえあれば生きていかれたかもしれない
しかし今
文明に頼りすぎた人類は食べるだけでは生きていけない!

そういえば
戦中戦後
肺病で亡くなる方が多かったようだ
母のお兄さんも
母の近所のお兄さんも
何故かお兄さん、、、、、、、、l
戦後なのでデータが無い

母のお兄さんは祖母が二階に隔離してお世話していたようだ
でも
コロナのように感染率は高くない
家族はうつらなかったようだし、、、、、、


まだ私は丸め込まれてしまう



県立好生館病院へ電話した

多分佐賀県も
発表されるコロナの感染者や陽性の方の数は少ないけど
受診者や陰性の方や疑わしい方は沢山いらっしゃるだろう!

病院関係者は忙しいはずだし
命がけだろう


私は
ゴールデンウィーク明けに受診予約をしていた

病院へ行くのが怖いーーーーーーーーーーーーーー
なので
予約の延期をしていただいた
たった一週間けど

病院の方々は優しい対応をしてくださった
大変なのに


がーーーーーーー
仕事には行く事にした
これが生死の分かれ道かも解らない、、、、、、、
運を天に任せよう〜

肺病になった事
緑内障になった事

全て
真っ暗な闇に突き落とされるショックだった、、、、、、、
誰にもすがれない
助けて!とも言えない
自分の細胞に頼るだけだった


コロナが治まってまた明るい社会が蘇る事を願うのみ
今も
NHKで
「新しい生活を始めましょう!」

尾身 茂理事長と言う方が
会見されている

そうだ
これからは
コロナ前とは違う世界に生きるんだな〜

ワイワイお喋りしたり
中古の口紅もらったり
お弁当のおかずもらったり
もう禁止だなぁ〜

大嫌いな飲み会ももう無い!
他人さまがのこのこ家に上がって来る事ももう無いだろうなぁ〜

ちょっと寂しいけど
私はその方が良いなぁ〜
人付き合い下手だしーーーーーーー
食べ物の分け合いもっと嫌だし
手作りの頂き物ももっと嫌ーーーーーーー

新規に仕事が始まる
初日から休むのが怖い小心者だ
スタートは足並みを揃えたい、、、、、、、


あ〜あ
仕事辞めたい
のんべんだらりの残りの人生も
良いかも〜〜

母はいない
69年間母と共に生きた私は
その落差を
まだ受け入れられないでいる、、、、、、、





ゴールデンウィーク明けから仕事

大丈夫かな?
在宅ワークなんて無関係だし、、、、、、

丸々1ヶ月休みだった〜
あと1週間有るけど

休みになったその日の
4月7日に母は当然死んでしまった
その3日前に面会禁止の連絡を受けていた
それまでは家族だけは面会してよかった

5日の日
母が肺炎だと連絡があったけど
日曜日なので病院の方の診察は無いと聞いた
母もグループホームにいたいと言ったそうだ
その日も面会は禁止

6日は普通に仕事に行って
7日にまた肺炎だと連絡が来た
夕方6時
何故か胸騒ぎがしてグループホームに行った
でも面会は不可能だった、、、、、、
夕ご飯は食べたらしい
けど
何を食べたか???
母の食事に凄く疑問を持っていたけどもう遅い!

家に帰って
主人と食事をしながら
「母が死んでいってる」
と思った
死んでいくと思った
不思議な気持ちだった
その2時間後ぐらい病院から連絡が来た時は
もう虫の息だった
まもなく呼吸が止まった、、、、、、、



もう3日は四七になる、、、、、、、、
その間私は何も出来ていない
母の事を思い出すし
一番は体調が良く無いーーーーーーー
僅かな血痰が止まらなくなっていた
それを見ると
気持ちがドーーンと沈み起きている力が出ない
コロナ禍なので
持病とは言え恐ろしい、、、、、、、、


でも、だが、しかし
もう直ぐ仕事だと言う事は解るし
仕事に行こう〜!と気持ちが張り切るのか
段々体調が良くなってきた〜
体重も少し戻ってきた気もするし、、、


人間って不思議
どう神経が作用して
どう臓器を修復するのか???

神経が臓器を修復するのなら
コロナにも打ち勝つはずなのにそれは無いーーーーーーー。



あーーー
またつぶやいでしまった